3/17 : ソウル⇒釜山⇒ The last day at KOREA
'04韓国旅行記 >  旅日記:3月17日



 1週間の滞在も、ついに最終日を迎えます。1ヵ所に滞在すると1週間もいれば飽きてくるのですが、今回はどちらの街でもゆっくりすることができず、何だか物足りないまま、また丸1日かけて韓国を横断します。


 昨晩の天気予報を見たときから、「もしかして・・・」とは思っていたが、やはり朝から雨だった。とはいえ、今日は観光や買い物とかの予定はなく、地下鉄と汽車を使って釜山まで移動するだけなので、「何とかなるだろう」という気持ちもあった。
 6時半には旅館を出て、そこから地下鉄の駅まで走って3分ほど。傘もささずに(というより、持ってすらいませんでしたが・・・)、まだ暗さの残る裏路地を走りぬけた。今までは荷物はひとつのカバンに収めていたが、こっちで買ったものもあるし、洗濯物とかもあるので2つになっていた。それらが濡れてしまわないように、と思いながら。
 地下鉄の改札は、上り線と下り線とで分かれている。はじめて韓国に来たとき(97年夏)、釜山で入り間違えたことがあったので、それに気をつけながら改札を抜けて地下2階のホームに下りると、ちょうど電車が入ってきたところだった。だけど、よく見ると「進行方向が、違う・・・」。ソウルでも、国鉄に乗り入れている1号線だけは左側通行だったということを忘れていました。幸いにも、この市庁駅は2号線との乗換駅なので、そちらのホームまで(延々と)歩いていき、何とか反対側の1号線のホームに戻ってこれました。(そのあいだに、1本逃してしまいますが)

雨のソウル駅

 韓国版新幹線(KTX)用に新たに作りかえられたソウル駅に来たのは初めてだった。以前、駅の南側で大規模な工事をしているのは知っていた。なので、地下鉄の降り場もずいぶんと南に寄っていた。地下鉄駅の広場から地上の駅舎へ上がるエスカレーターは雨に濡ないように屋根がついていた。なのに、2階の駅のコンコースへの入口に屋根のない場所があった。みんなそのあいだは、小走りだった。ワタシも走った。こけてしまわないように・・・。
 新しい駅は、つくりは以前のものとあまり変わらなかった。線路をまたぐように2階部分に切符売り場、待合室、改札口と売店など駅としての主要施設があり、その上の階には買い物をする場所があった。以前の駅舎と違うのは、それぞれのスペースが広くなったこと、天井が高くなったこと、ガラス張りで開放感が出たこと、などでしょうか。まずは、釜山までの切符を調達するために、切符売り場に行きクレジットカードを見せながら「これ、使えますか?《英語》」と聞いてみる。答えは、「No!」。手持ちの金は30,000Wたらず。朝の食事代を考える以前に、超特急のセマウル号に乗る金にすら足りていない。そのうえ、両替所はおろか、ATMすら動いていない。結局7:15発の特急ムグンファ号をあきらめ、8:15のムグンファのチケットを購入する。当初の予定では、食料を調達して7:00のセマウル号の車内で朝食をとる予定だったが、これで釜山への到着が2時間近くも遅れてしまうことになった。その代わり浮いた金で、コンビニで新聞や雑誌を買ったり、Lotteria(この旅、5回目のハンバーガー。そろそろ見るのもきつくなった・・・。だって、こういうときに限ってとなりのうどん屋が開いてないんだもん・・・)に入ることもできました。
 どうも、韓国の超特急セマウル号に縁がないまま、新幹線(部分)開業で「最速」の列車の称号を譲り渡してしまう。今まで乗ったのは、「日韓共同きっぷ」を使った、2年前の1回きりである。しかもこの時は、日本からの通しの切符だったので、実質「払った」ともいえないのだが。

  この日の出来事『スペイン・マドリードでの列車テロ』

ソウル駅  《韓》

やっぱり、セマウルに乗りたかった・・・

 汽車はほぼ半数の客を乗せて出発した。と思ったら、漢江(ハンガン)を渡ってすぐの「永登浦(ヨンドンポ/Yeung Deung Po)駅」で、残りの約半数が乗ってきて、ほぼ満席となった。ソウルから隣に座っていたおじさんは、ワタシが言葉が通じないのをわかっているのかどうなのか、たまに話し掛けてきた。それだけならよかったが、他の車両まで出かけて行っては、そこで買ってきたらしいバナナ一房から2本をちぎって分けてくれたりもした。普段日本では食べないので、本当に10何年かぶりにバナナを剥いたような気がした。
 ソウル周辺では気が付かなかったが、大田に近づくと来月開業する韓国版新幹線の高架の線路を見かけるようになり、試運転中の(低速)新幹線も見ることができた。フランスの協力を得て作ったものらしく、あちらの新幹線のTGVの色違いでしかないように見えた。はるばる2時間も乗り続けて、まだまだ道半ばの大田。新幹線だと1時間。そういえば、3日前のバスでも2時間。乗り換えの手間と渋滞を考えると汽車のほうがいいのでしょうが。

 大邱の駅で、隣に座っていたおじさんは下車した。その後、東大邱を過ぎても誰も乗ってこなかったが、しばらくするとその降りたはずのおじさんが、荷物も持たずに席に戻ってきた。「ハンドポン、ハンドポン」とつぶやきながら・・・。手を耳にあてるしぐさをするので、携帯電話(=ハンドフォン)のことだとわかったが、それ以前にこのおじさんが隣の席で携帯電話を使っていた記憶すらないので、何とも言いようがなかった。とりあえず、ゴミ袋とか、バナナの皮とかを見るしぐさをしたけれど、日本では携帯を探すときの常套手段の「携帯へ電話をかけてみる」という方法を、あっちの言葉で説明できなかったので、とりあえずそれ以上のお手伝いはできなかった。
 周りの客は、ほぼ入れ替わった。釜山が近づくにつれ、車内も混雑してきた。しかし、雨は相変わらず降り続いていた。釜山の到着予定時刻は13:40過ぎ。しかも、大田でも、大邱でも、時刻表に載っている時間よりも遅れていた。さらには、港への移動を考えると1時間しか残っていない。荷物をまとめながら、何をしないといけないのかをもう一度確認するために、メモ用紙にリストアップしていった。

  この日の出来事『韓国版新幹線開通』

韓国鉄道庁  《韓・英・日・中》

ラスト1時間で!

 釜山の駅には、予想通り遅れて到着した。その上、構内は仕上げ工事とばかりに足の踏み場もないほどあちこちに資材が転げていた。というより、通路で溶接までしていた。だから、駅の建物から出るのに時間がかかってしまった。しかも外は、雨まで降っていた。まずは食事をしようと思ったが、食堂らしきものが見当たらなかった。以前の建物だったら、どこに何があるか覚えていたのに、新しい建物に移ってしまったので、どこに何があるかも分からない。エスカレーターに乗って、地上におりた。傘もささずに、地下鉄の駅まで走った。荷物を預けようにも、コインロッカーが見当たらない。仕方がないので、先に地下鉄に乗り、港の最寄り駅を通り過ぎて、中央洞駅まで向かう。案内図で両替ができそうな銀行の位置を確認し、その近くの出入り口までは地下街を利用する。ただでさえ通路が狭いのに、晴れていたら地上を歩いているはずの人も加わって、早歩きもできない。それに、以前から思っていたが、この街には西洋系の観光客が多い。港があることと関係があるのだろうか。
 農協系の銀行に入り、ATMを試してみたが相変わらずだったので、両替をすることにした。万札しかもっておらず、「そのうちの3,000円分だけ」と切り出せなかったので、全額を変えてもらった。両替自体はすぐ済んだのに、領収をもらったのでその印刷に5分ほど待たされた。大通りの向かい側には、いくつかのハンバーガーの店があった。このあとで寄る店のことも考えて、その中のLotteriaに入った(この旅、6回目のハンバーガー。しかも、昼飯は4日連続。もう、どうしようもなかった・・・)。その後、コンビニに入って夕・朝食と土産がわりになるものを調達し、最後に本屋に行った。ただ、そこでは、買う気を起こさせるほどの雑誌や地図に出会うことはできず、とうとうタイムアップとなった。

「15時までに乗船手続きをしてください」

 ・・・と、広島で乗船手続きをするときに言われていた。そもそも、広島でそう言われたのは16時ごろ。出港時刻は両方とも17時。いったい何が違ったのか、最後までわからなかった。しかも、そのときに渡された紙には、「港湾使用料として、1,100ウォンを用意してください」とあったので、小銭を含めてちょうどを用意していたのに、手続きの際に「それでは、1,200ウォンを頂きます」と言われてしまった。一応、納得できないふりをして文句を言うと、「つい、先日、値上がりしました」と・・・。
べつに、10円(程度)ぐらい、構わないけどさ。
 手続きの最後に、「出国審査は16時から始まりますので、それまでには・・・」と。じゃあ、これから1時間も、何をすればいいんだよ!雨が降っていなかったら、いや、傘を持っていたら(しかも、荷物を預かってくれたら)、もう一度街中に繰り出すのに、と思いつつ、先に乗船手続きだけしに来ておけばよかったと後悔した。

釜関フェリー・銀河  《日》

やっぱり、船は雑魚寝に限る

 出国手続きを済ませると、免税品店が並ぶ待合室に立ち止まることなく、そのまま船に乗り込んだ。2等客室の「2」というコーナーが割り当てられていた。来るときに使った個室のあるフロアの下で、船尾の甲板への入口の大広間が10ほどの区画に仕切ってあるような場所だった。一つのコーナーは12畳ぐらいのスペースがあり、8組の枕と毛布が並べてあった。どのスペースも、一人いるか、2,3人のグループがいるみたいだった。「2」のコーナーには、先客が一人いた。東京から遊びに来たというおじさんだった。これから帰国するというのに、韓国の情報交換なんかをしていた。出向時間が近づくと、どやどやと学生らしい6人組が入ってきた。急に狭くなったな、と思っていたら、その6人組が空いている場所を見つけたらしくそそくさと移動して行った。
 おじさんも、ワタシも、とにかくヒマだった。テレビはあるものの映りが悪く、音声もろくに入らない。外に出ても外洋なので島すら見えない。食事は自前のがあるからといっていたので、ワタシだけ食堂に行って夕食をとった。食べ終えたころ、正面のテーブルに座った2人組と目が合った。どこかで見たような気がした。お茶のおかわりをとりに席を立ったときに、「どこかでお会いしませんでしたか?」と尋ねると「行きの船で一緒でしたね!」と答えてきた。ワタシはその覚えがなかった。船員以外(オヤジは別ですが)と話しをしたことがなかった。しばらく考えてから、行きの船でオヤジと話しをしたことがあって、それから慶州の仏国寺の観光案内所で再開した人達だということに気がついた。となれば、あとはその後のハナシをするだけで2,3時間は経ってしまう。彼らの個室にあるテレビでサッカーを見るため21時過ぎに移動したが、どうも寝てしまいそうになったのでハーフタイムを待たずに自分の寝場所へ戻った。まだ消灯時間ではなかったので、起きている人も多かったが、そもそもの客が少ないからか、騒いでいる人はいなかった。
 飛行機だと、おそらくこういう出会いはない。船でも、個室に閉じこもっていたら、やはりなかったと思う。一人だったら、往路も雑魚寝だったのに、と思いながら床に就いた。

 夕食後に、この2人組が他の話をしている最中に、携帯電話が使えるか試してみた。さすがに、対馬は通過していたらしく十分に使えるようになってみた。これで送信し損ねたメールが送れると思ってつないでみたら、想像以上の量のメールを受信した。そのうち何通かが、高校時代の友人からだった。「珍しいな」と思いつつ、そのうちの最初のを読むと「久しぶりに、みんなで食事をしませんか」。その次のは、「17日に決まりましたが、来れますか?」。最後のは、「返事がないので、来ないとみなします」。
 どうもすみませんでした。その時間は、まだ「外国」にいました・・・。すぐに謝罪のメールを送っておきました。

 それと、後からわかったことですが、携帯の電波の「圏内」にいないと、GPSが機能しなかった、ということらしいです。そのため、ちょうど使っている最中に「圏外」に出たためこのようなことになってしまったらしいです。

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最終更新日2005年9月10日