10/13(土):ソウル、高陽 10  13 ): ,
Seoul, Koyang





ソウル駅まで見送りに

 最終日は陸路で帰る青海さんのスケジュールにあわせて旅館を出る。とはいえ、私も宿を引き払うのでそれなりの準備と格好をして9時前にはチェックアウトした。ソウル駅までは地下鉄で1駅分の距離しかないことはお互い十分承知なのだが、荷物が多いので地下鉄に乗る。ここで私が大量に持っていた硬貨処分しようと、10W玉まで駆使してポケットに忍ばせていた30枚ほどを自動販売機に一気に入れたら何も反応しなくなった。600Wをなくした悔しさよりも、これごときで故障してしまう機械に腹が立った。
 予定通りというか何と言うか、ソウル駅には1時間も前に着いたので、待合室コンコースにある食堂で軽く朝食を取る。日本の「うどん」のようなものがあるということは知っていたが、その名も「うどん」ということを知ったときは少し驚き、注文するときに「ウドン」と言ったら素直に通じたときは妙に納得してしまった。
 それでもまだ時間があるので、駅前に出て写真を撮ったりしているうちに、改札ゲートが開く時間になっり別れることになった。ただ、単に、お互い一人身の旅であったということと、ソウル滞在の日程があったということだけなのに、5日も夜を伴にして(深い意味はありません)、おまけに宿泊代が半分になって、といろいろお世話になったので目頭が熱くなったりもした。
 青海さんは、ここから釜山まで電車に乗り、今夜のフェリーで国境を超える。そして、翌朝の新幹線に乗り、自宅へは昼過ぎに帰るという予定である。ちなみにワタシは、今日は丸々ソウルで遊んで、明日朝の飛行機で一気に日本に帰る。隣の国とはいえ、地上を這うように移動すると、結構時間がかかるものである。

高陽市の一山ニュータウン 《Koyang》

 ソウル市の西北に接し、漢江の北側に位置する、典型的な衛星都市。ソウル市の隣にして、巨大なニュータウンと何もない田舎が同居する異様な都市。

 高陽市 [E]
 高陽市 [K] :韓国語フォントが必要です
 韓国で遊べるのも最終日だが、夕方にはソウル市街へ戻って空港へ行かなければならないので、遠くまで行くことは難しかった。また、バスに乗るとしても、帰る時間が不規則になるので、できれば避けておきかった。なので、地下鉄に乗って郊外に行こうと思った。ここで候補に上がったのは、地下鉄3号線に乗って、北の郊外の高陽市に行くか、南郊の城南市に行くかだった。城南はプロサッカーチームの本拠地でもあり、大きな街だと知っていたが、高陽については何の知識もなかった。しばらく考えた結果、好奇心も手伝って、北に向かうことになった。
 地下鉄3号線も、国鉄一山線と名前を変える頃から地上に出るものだろうと考えていたのが甘かった。一度市境の辺りで、山や畑の中を走っていた頃は地上だったが、高陽市のニュータウンに入る頃はずっと地下だったので、車窓を楽しむことができなかった。とりあえず終点の「大化(Daewha)」まで行って地上に出ても、小さなバスターミナルとコンビニなどがあるだけで、道路の向こう側には中層の団地が連なっているという典型的なニュータウンだった。ただ、日本で見かけるのと違う点は、延々と平坦であることか。近年まで国境に近いという意味で開発が進まなかったが、ソウル都市圏の発展の波に耐え切ることができずニュータウンができた、という話をどこかで聞いた覚えがある。駅前を散策してそのまま帰るにはあまりにも芸がなく、一駅分歩くにしても2キロほどあるので面倒だと思ったが、その手前にショッピングセンターがあるというのを地図で見かけたので、とりあえず歩くことになった。
 1キロほど歩くと店が連なるようになり、6、7階建てのスーパーも見えるようになったが、さらにここから地下鉄線とは垂直に同じほど歩くと国鉄線の駅があるという地図を見つけたので今度はそちらに向かうことにした。ここまでは3車線ずつの道路沿いだったが、今度はニュータウンの中に作られた緑地帯の中央を歩くことになる。途中3回ほど道路と立体交差して、そこにある歩道橋が歩き進んでいくときの目印となっていた。両側には高層住宅が散在していて、途中に学校もあるらしくクラブ活動をしているような歓声(?)もあがっていた。こういうところもいいものだと思ったが、何だか街並みが人工的過ぎて、永住する気にはなれない。ただ、平地なので自転車に楽に乗れそうなことは気にいった。
 団地の端まで来ると、道を隔てて畑が続くという田舎になった。とはいえ、その手前に線路があって駅もあった。1時間に1本の普通列車しか来ないので駅の周りも寂しかった。というより、実際駅を見つけるよりも電車を先に見つけてしまった。しかもソウル方面行きの。確認のために、歩道橋を渡って駅に行くと、やはり次は1時間後ということなので、先程のニュータウンの中の歩道橋1つ分戻って、橋の袂のコンビニまで歩いた。


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ソウル西郊、高陽の一山ニュータウン 中心に京義線の「一山駅」が

14:09(一山) 14:50(新村) 21.8km 1,100W
 ソウルから北に向かって11個目の駅だが、ここからさらに北上しても団地はない。ただ5つ先が暫定的な終点でその先は北朝鮮に向かって線路をつなげる工事をしている。1時間に1本しかないため、車内は混雑し、昼過ぎだというのにこれから買い物に出かけるような格好の人が多い。

ソウル買い物歩き

新村、鐘閣

 一山から電車は昼間はすべてソウルの一つ手前、新村(Sinchon)が終点となる。新幹線の工事で線路がふさがるとかいうのがその理由らしいが、新村で降ろされたところで、地下鉄の駅も近くにあるのであまり困らなかったし、ガイドブックにも載っているほどの観光地である新村も一度は見ておこうということで、半ば楽しみにもしていた。
 新村の駅前では何かの運動だろうか、拡声器で叫んでいる周りには人垣ができていたが、何を喋っているのかすら分からないので、共感も反対もしなかった。ガイドブックで見て想像していた街とは違って、こじんまりとした何か特徴のある商店が密集しているのだが、概して路地は狭く、そして何より坂がある街だった。確かに、等高線の入ったガイドブックの地図など見たことがないから、行かずして分かる術などないのだが。
 新村・梨大ともに、「おしゃれな店」というものが裏通りや路地裏に多いらしく、そこまで下調べをしてなかった私は、地下鉄の駅までのわかりやすい道をと思い大通りを歩いていた。後から考えると、なぜかオフィスビルが多いな、とは思っていた。昼飯時も過ぎたLotteriaで「所詮、こういうところなのかな?」とか思っていた。あとで確かめると、新村のコアなエリアを遠巻きに避けて歩いていたことが分かった。せめて、地図を確認しておけば、面白い店を見つけることができたかもしれなかったのに。

   帰る前に一度寄っておきたかった店があった。鐘路の大通りでもかなり東に外れたところに、「MusicLand」というCD屋があった。ただ、西のエリアは巨大書店や観光公社があったりと、頻繁に出向くのだが、CDのためだけにそこまで歩いて行く気力が今までなかった。ただ、書店内のCDコーナーや「美都波」の地下やCOEXのCDショップはあまり大きくなく、しかも先日Tレコードが見つからなかったので、とりあえず行ってみようという気になった。いつもなぜか立ち寄る「普信閣」のところで鐘路に出て、そこからひたすら屋台やビラ配りの人が多い混雑した歩道を東に向かった。客が多く集まるような店が少なくなってきた頃、ビルの地下にその店があるという看板をやっと見つけた。
 この店は、期待していたほど、ここまで脚をのばしてきたほど、収穫はなかった。そもそも、これといって買いたい物があったわけでもなかったし、金を出してまで買いたいと思えるものもなかった。結局、いま来た道を同じように戻り、市庁の脇を通って、ソウル駅までひたすら歩いて戻った。

そして、空港へ

Limousine Bus Ticket from SEOUL Station to Airport  土産とする予定のコンビニおにぎりも何とか駅前近くで調達し、ソウル駅に荷物を取りに戻り、バス乗り場を探した。ソウル市内からの空港リムジンは2種類あるという情報は仕入れていたが、運賃が倍近い「直行バス」の乗り場しかわからなかったので、その場でチケットを購入し乗り込んだ。ほどなくして出発したが、同乗していたのは中国語を話す同世代の旅行者2人組と、ビジネス客らしき別の1人だけであった。やはり、普通の人は安い方のバスに乗るんだろうか。ソウル駅を出たバスは、南に向かい米軍基地の横を通り、漢江を渡る。その先で川沿いの自動車専用道路に入り、一気に西へと向かう。途中で、金浦空港が見える頃には3車線ずつの高速道路になり、西行きも反対車線も空港リムジンバスだらけになっていた。アクセス鉄道がないと、こんなことになっちゃうんだ、と思いながら。
 それからどれくらい走ったのか寝ていたので覚えがない。気が付くと、本土(この場合、ユーラシア大陸か?)と空港島とを結ぶ橋の手前にいた。といっても、橋桁も何も見えなかったが、海面が(というより、干潟なのかもしれないが)石灰岩台地のようにこんもりとした濃紫色の丘が、どこまでも連なって見えるのが気味悪かった。橋を渡りきっても、線路を造るのであろう工事現場や空港新都市のそばを走っていたが、なかなか空港ターミナルは見えてこなかった。空港が大きくなったのはいいことだが、遠くなるというデメリットも持っているということがよくわかった。成田もこうなんだろうな、と完全に他人事ですが・・・。

 3日前の仁川のところでも触れたが、2000年の春にソウル市の西端にあった金浦空港(場所でいえばソウル市内だが、すぐ近くには金浦市が迫る。千葉県浦安市の東京ディズニーランド&シーの逆バージョン)から、国際線は仁川市沖の仁川新空港へ移転した。金浦のときはソウル市内に出るときはバスに乗っても近くて安かったが、何よりも地下鉄の駅があったため、ある程度時間に正確に移動ができて、地理に不案内でも何とかなった。しかも、600W程度といった安さが魅力だった。仁川に移ってからは市街地からの距離がざっと2〜3倍と遠のいたことと、アクセス手段がバスかタクシーに限られること(無理して、仁川へフェリーで渡るという手もあるが・・・)、そしてこれが高いということ。
 空港の出発フロアに到着して、そのままベンチを探して寝る準備をしてもいいのだろうが、バス降り場や建物の入口すべてに物々しい雰囲気で警備にあたる軍隊の人が立っていたりと、いつもとは違う雰囲気を感じたので念のため案内所で「空港内で泊まる場所はありますかね」と聞きに行った。香港でも関空でも高いとはいえ一応ホテルが中か隣接してあるものだが、返ってきた答えは「トランジット用のが中にあります」とのことだった。当たり前だが、私みたいなのはチェックインができないので利用はできない。そこで、「ここ(=チェックインスペース)で寝てもいいですか」という内容のことを聞くと、夜は締めるからダメということだった。新しい空港で海の上なので、24時間開いていると思っていたが、考えが甘かった。仕方なく近くの宿ということで、島内にある空港新都市まで行けるバスの乗り方のメモをもらって空港を後にしたが、このとき手持ちは30,000Wしかなく、今更両替するよりも確実にクレジットカードが使える今朝までお世話になった旅館まで戻ることにした。

もう一泊、あの旅館へ

 19時過ぎに、ふらふらと旅館に「戻る」と、受付には女将さんの方がいた。顔を見て一瞬驚いたが、事情を話すと部屋ならあるから大丈夫という話になった。昨晩までとは違う一人部屋なので、同じ広さのベッドルームだったが、ベッドが大きいからなのか何故だか分からないが、えらい狭く感じた。荷物を置いてほどなくして、女将さんがドア越しに、「夕食はもうとったのか」と聞いてくるので、食べてはないがこれから出る用事もないとだけ答える。ただ、何か怪しいので理由を聞くと、直後にチェックインしたという日本からきた学生さんが、ソウルに来たばかりで右も左もわからないという状態だから、案内でもしてくれないかということだった。普通なら断らないのだが、財布の残りが気になったので、それだけ確かめて何とか自分の食事代ぐらいは足りるということがわかったので、一緒に出かけることになった。
 食事となれば、この旅5度目の「明洞ミリオレ」である。まったく、何の芸もないオトコである。まあ、人を案内しておいて変な店に入るよりかは、勝手を知っているのでいいのだが。長いお付き合いではないことは知っているので、深く掘り下げたハナシはしなかったが、最小限の旅の心得と、リクエストに応じたソウルの見所は紹介した。ただ、旅館に戻っても私の部屋でハナシは続き、9時過ぎまで何だかんだと話し込んでいた。このとき、どさくさにまぎれて持って帰るほどでもないパンフとかは処分ついでにあげたような気がする。6日ぶりのベッドだったが、昨日までと同じ料金を1人で負担するということを考えると、寝心地は悪かった。それと、旅館に戻るタイミングが少しずれていたら、先ほどの学生さんと部屋をシェアすることができたのに、と。


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