10/5(金):釜山〜ソウル 10  5 ):
To Seoul via Busan





とりあえず、ユーラシア大陸に上陸

国際旅客フェリーターミナル

 関釜フェリークラスの船で下関と釜山の間を一晩で移動するには距離が短すぎるらしい。なので、真夜中に港の近くに停泊して、そこで夜明け、というか入国審査のはじまる時間まで待っている。前回も、釜山の街並みを目の前にして、上下に揺れるだけの景色を眺めながら、朝食をとった覚えがある(おまけに、不意の揺れで味噌汁をこぼした苦い覚えもある)。
 事件は急に起きた。外はまだ暗く、時計を見るとまだ3時ごろだった。私のいた船室は前の端の方でしかも2等なので、もちろん最下層である。ガラガラという音と伴に小刻みに揺れだした。飛び起きたので、船がどちらに傾いているかも分からず、しばらくは放心状態だった。頭もぐるぐると回ってきて、まっすぐ立ち上がることもできなかった。「まさか、沈んでいるんじゃ・・・」と思い救命道具のある場所を探したが、確信は持てなかったので、周りの人は起こさなかった。しばらく考え込んだ挙句、イカリをおろしているのかな、と気付いてからは変なことを考えていた自分がばからしくなってそっと誰にも知られないようにして寝た。
 6時過ぎには船内放送で皆たたき起こされる。のはいいのだが、風呂に行くつもりもなければ、食堂で朝食をとるつもりもない。おまけに、下船は税関の開く9時ごろになることは知っているので、もう少し寝ておきたかったが、周りが起きるので流れにつられてそのまま起きた。
 朝食に出かける人、朝風呂に行く人といて、室内の人口密度も低くなった。朝食用に残しておいたコンビニおにぎりを食べながら、夕方ソウルに着いてからの旅館を調べ始めていた。残っていた人たちの中にも、同じようにガイドブックで調べ事をしている人もいるので情報交換などもした。
 8時をまわる頃になると、下船の準備ということで荷物を持ってロビーへと向かう人が出てくる。ただ、以前の経験から9時ごろにならないと入国手続きが始まらないので、それまで立って待っておくのも疲れるので部屋に残っていた。ここで話をしていた中の一人(注:親父と同じくらいの年齢)の方が、一緒の電車でソウルへ向かうということが分かったのでもう少し詳しく聞いてみた。初めての韓国旅行で、駅までの行き方も知らないから助かったと言われた時は、妙な責任感みたいなものに押しつぶされそうになった。道案内ができるほど偉いわけではないが、たった1度でも行ったことがあると経験者に祭り上げられてしまう。と、大騒ぎするほど、面倒な道のりではないのですが・・・。結局、この後ソウルまでの列車の席が近いこともあり、ご一緒することになった。名前を仮に「二宮さん」ということにしておく。

Busan International Port Termninal from Tower  4年前は、非常に緊張した入国審査も、旅慣れたためかすんなりとパスすることができた。入国して、両替して来るのを待ってから、地下鉄の駅まで一緒に歩いていった。最寄駅から釜山駅まで地下鉄ではわずか1駅のところ、後々ソウルで一人歩きするときに地下鉄に乗るだろうから、一緒にいるときに練習をしておきたいとのことで、付き合って乗ることになった。道すがら、漢字はほとんど見当たらず、ハングルばかりの看板に、びっくりしませんか、と尋ねたところ、そこの正面にあったビルのロシア語の看板が目に飛び込んできた。釜山は日本との玄関口であるとともに、ロシアとも密接なつながりがあり、駅前にはロシア人街があることを忘れていた。

釜山駅へ

 釜山の駅は4年前と変わらず1階がセマウル号専用改札口、3階がその他の列車の改札口と、日本人には慣れないつくりの建物だった(だけど、新幹線がある駅と似たようなものか・・・)。この駅も、韓国版新幹線ができると様変わりしてしまう、という看板も出ていた。
 日韓共同切符なので敢えて窓口に並ぶ必要もなく、適当に出発までの時間をコンコースで待っていた、ところ・・・、どこかで見た顔が現れた。手押しカートにダンボール箱を満載したPさんだった。フェリーで同じスペースで寝ていたのだが、港に着いても熟睡したままで、二宮さんが「着きましたけど」と、声をかけて起こしてあげたので、お互いに顔を覚えていた。そのお礼として、ソウルまでの車中で韓国の案内を買って出てくれた。Pさんはソウルに住んでいて、日本とのあいだで雑貨などを売買して商売をしているとのことだった。なので、一人で持ちきれないほどの荷物を運んでいる。だからさすがに港からは、地下鉄や徒歩ではなくタクシーを使ったとのことだった。


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韓国版新幹線のKTXができてから、駅舎の形も変わってしまいました

最初で最後のセマウル号

セマウル14号(9:55 → 14:24)

 よく考えたら、これが「セマウル号」に乗るのが最初のことだった。しかも、最後になるかもしれない。韓国には4つの等級の列車が走り、停車駅が増えて時間がかかるごとに安くなる運賃制度になっているが、これといって急ぐ理由もないので、余程のことがない限りもうのることがない、だろうと思う。
 私の座席は「6号車の10番」だった。でも良く見ると、「0」の右側が切れていて、「C」に見えないこともなかった。とはいえ、座席の指定は「1番C」とかいう表示だったので、並び順からだいたいそうだろうという理由から「1番C」に座っていた。そこへコンピュータ発券された「1-C」の切符を持った女性があらわれたが、周りも空いていることからとりあえずそこに座ってもらった。車掌が検札に回ってこられたときに相談すると、もう一人「1-C」を持った人が現れた。この人が、これから1週間も一緒に生活(?)する青海さん(仮名)だった。結局成り行きからして、私の切符を発券した所が、何か別の座席表示を参考にしていたというミスだったのだろうが、早い者勝ちの原則が働いて、私は席を移動せずに、ほかの2人が近くの空いた席へ座ることとなった。
 しばらくして、食堂者へ行き、簡単に昼食を済ませた。メンバーは、二宮さん、Pさんと、釜山駅で既にPさんと話を交わしていた青海さんとの4人だった。日本でも少なくなりつつある食堂車の話題から、車窓に見える珍しい物の話、そもそも何故この時期に海外旅行をしているのか、ということまで。1時間以上も話し込んでいたが、昼食の時間が近付くと少しずつ混み始め、せっかく取った指定席がもったいないので、もとの席へと戻った。それからソウルに着くまでのあいだはこの晩に泊まる宿をガイドブックを見ながら目星をつけていた。

やはり、最後の「セマウル」乗車となりました('04韓国旅行記へ)

2年ぶりのソウル 《Seoul》

 いわずと知れた、韓国の首都です。人口も1000万人を超え、周囲の衛星都市も含めると、もっと大きな都市になります(それでも、東京大都市圏のほうが大きいというのが、いまいち分からない)。ショッピング・食事・文化と観光の中心にして、全国各地にバス・電車・飛行機で行けるという交通の中心でもある。
 韓国に行くときは、必ず立ち寄る街にして、たいがい郊外に出たくなるという欲求に駆られるというのは、この街が「好きではない」からなのでしょうか・・・。

 ソウル市 [E]
 ソウル特別市 [J]
 Pさんとは、夕方にテレビ出演の予定があるということだったので、迎えに来られていたWife(日本人です)と伴に駅で別れた。残された3人は、私がソウルに到着すると真っ先に向かう、鐘閣の韓国観光公社の案内所へ向かった。そこでは無料でインターネットをしたり、その晩泊まる旅館の予約もした。
 そこで二宮さんと別れたあとで、荷物を置くため旅館へ行ったが、今まで泊まっていた「ホテル」と違い、アットホームな雰囲気はあるものの、部屋に入っても外の騒音が聞こえ、床もオンドル部屋ということを差し引いても簡単なつくりがして、風呂兼トイレも暗い雰囲気があった。とはいえ、2人で30、000Wなので仕方がない、とこのときは思っていた。
 ちなみに、入国してここまでは前回の旅行で持って帰っていた金(約50,000W)で済ませていた。だがさすがに1週間持つものでもないので、銀行の窓口業務が終わる前に両替に出かけた。予定では旅行前に発券したトラベラーズチェックを出すつもりだったが、現金だけで30,000円以上持っていたので、まずはこっちを優先させた。というのも、万が一、盗難・紛失という場合でも現金だと戻ってこないからである。ただ、また両替する機会があると思っていたが、最後までトラベラーズチェックを持ち歩くことになってしまった。

 その後はいつものごとく、巨大書店に行き、翌日から必要な時刻表だけを調達し、旅館に近い明洞のショッピングセンター・ミリオレのフードコートで、この旅最初の「ビビンパ」を食べ、宿に戻る。

 いつも行く巨大書店・・・永豊文庫 [K] :韓国語フォントが必要です
 ショッピングビルの「ミリオレ」 [K] :韓国語フォントが必要です


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