10/8(月):大邱〜浦項〜釜山〜 10  8 ):
From Daeuu To Busan via Pohang





大邱の朝

 昨夜の遺恨を残しつつも機会があればまた来ようと思った宿を離れ、昨日は立錐の余地もないほど混雑していたはずの繁華街を通り抜け地下鉄の駅へ向かう。朝の7時ということもあってか、すれ違う人もおらず、どの店も開いていない。
 東大邱駅は高速バスターミナルの隣にあり、建設中の新幹線の駅にもなるらしく、「工事をするぞ」という看板だけでかでかとあった。ここから浦項まではトンイル号という普通列車に乗る。韓国にある列車の3つ等級のうち一番下のクラスでがあり、運賃が一番安く、すべて自由席である。それなのに、ここから浦項までのあいだ、半分以上の駅を通過する。どうせ、全部乗り通すので、早く着く分には文句はないのだが。ところで、この列車に乗るときは「最低運賃」「自由席」という理由から、KOREA RAIL PASSの説明書では切符に引き換えることなく乗れるとあったが、前日の光州駅で不可解なことがあったのでとりあえず窓口に並んでみた。すると、やはりそのまま改札を通過してそのまま乗ってもよいということになった。駅によりトラブルがあるということは出かける前にどこかのウェブサイトで見ていたが、今更光州へ戻って文句をいう気にもなれないので、昨日の件はそれでよしということにしておいた。
 前日にアメリカがアフガニスタンへ侵攻したことに関連して、改札口前の人の集まるところでテレビクルーが人を掴まえてインタビューをしていた。言葉の分からない街頭テレビを見ているよりも、こちらの様子を眺めている方が楽しかったので、出発の時間までずっと目で追っていた。ただ、身なりが悪かったのかどうだか知らないが、最後まで私にはお声がかからなかった。

海へと向かう鈍行列車

09:00(東大邱) 10:49(浦項) 110.7km
 大邱から浦項まで2時間近く。都会でもなく、かといってド田舎でもない農村といった所を、ゆっくりと、ただゆっくりと、対向列車を至るところで対比しながら、海に向かって走っていく。日本の列車ほど頻繁に停車を繰り返すことはないのだが、一応普通列車として誰でも乗れるので、買い物帰りのような感じで、ふらっと乗っている人の割合が多かった。そのため、その人たちのおしゃべりでずっとうるさかった。
 途中、慶州の街を通過した。古都の雰囲気が感じられるところはなかったが、高層住宅あり、大規模なショッピングセンターありと、都会のような感じだった。とはいえ、慶州を例えるときに使われる「京都」は、もっと大きな建物があり広い街なので、それに比べるとこじんまりとしていて落ち着いた雰囲気がある、ともいえる。要は、比較の問題かもしれない。

姉妹都市、浦項 《P'ohang》

 慶尚北道の東海に面する町で、迎日湾に面した巨大な製鉄所のおかげで日本でも有名。私事ながら、出身地と姉妹都市で、縁のキーワードは製鉄・漁業・繊維業ということらしい。ただ、漁業というのはどちらの街も納得できない。ただ、単に海沿いにあるということだけなのだろうか。そもそも、鉄を作っている所の海の魚って・・・。

 浦項市 [K]
 浦項に向かう列車の中で何となく、自分の街を想像していたが、駅に着いたときにまずその駅の小ささにショックを受けた。だけど考えてみれば、列車の本数からして仕方がないともいえる。ただ、そのあとで高速バスターミナルまで歩いたが、そこまでには通りは3車線、4車線とそこそこ大きいのだが、その周りに大きな建物もなく、ただただ雑然とした商店街みたいなところを1キロほど歩いて行っただけだった。しかも、ついたところの「高速バスターミナル」も名前としては間違っていないのだが、行き先はソウル、大田、馬山、光州の4つしかなくしかも20分おきに出ているソウル行きはまだしも他は約2時間おきという少なさでとても「ターミナル」と呼べるほどのものではなかった。水原の教訓は生かされなかった・・・。
 予定を変更して、そこからひたすら「市外バスターミナル」に歩いて向かった。地方都市ゆえに市内バスの路線が分からず、そもそも駅に戻ったところで、バス乗り場がなかったのでバスに乗れるとは限らないし、別に歩いたとしても日が暮れてしまうほどの距離ではないからと3キロ弱の道のりを街並みを楽しみながら(?)歩いた。道路標識を見ては、道は間違っていなかったとほっとし、距離がわからなくなれば地図を取り出してまだ遠いのかとがっかりしたりもした。あと信号で1つか2つ分のところまで来たときに、おばさん(50歳ぐらい)に道を尋ねられた。今までは何を聞かれているのかすら分からなかったので謝るしかなかったが、何となく「バスターミナル」と聞き取れたので、私も向かっているところだと言い、とりあえず指差しておいた。まさか「高速」のターミナルではなかったと思うのだが。


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河の左岸が浦項の市街地、右岸一帯は世界的にも有名な製鉄所

いきなり、滑走路

京釜高速道路

 釜山行きのバスは、そこまで遠くないこともあって、10分おきに出発するという、日本の都市内路線バス顔負けの本数だった。これだけ多いと、前に出発した便を追い抜くこともあるんだろうか。切符は自動販売機で購入し、興味をそそる食堂もなかったのですぐバスに乗り込んだ。
 浦項には高速道路が繋がっていないので(現在工事中、らしい)慶州まではひたすら国道を走る。とはいっても、郊外に出たとたん立体交差の連続で、田舎を走っているときも2車線ずつのほぼまっすぐな道路なので、高速道路と何ら変わりがない。
 慶州の街の北側から進入して、環状線を使って時計回りに南の郊外まで迂回する。その途中では、いたるところで発掘調査みたいなことをしていたので、古都といわれるこの街の様子をわずかながら垣間見ることができた。

 慶州のインターチェンジからはじめてまともな高速道路に入る。しかも、ソウルと釜山を結ぶ、大動脈である。カーブや坂はきつく、そして何より路肩が狭い・・・。一応それなりのスピードが出ているわけなので、最初は乗っているのが怖かったが、そのうち慣れてしまった。しばらくはこんな感じで走っていたらいきなり右側の路肩が切れて、道路から100メートルほど離れたところには大きな倉庫が並ぶようになった。そして舗装の色も白っぽいものになり、もしかして、と思って中央分離帯側を見ると、作り付けのガードレールではなく簡単に取り外せそうなものに変わっていた。こうした景色が3,4キロほど続いた。
 結局、これが噂の非常時には滑走路になるという高速道路だったのだが、いざ間のあたりにすると今でも戦時中(正しくは、休戦中だっけ?)の国にいるということを改めて感じてしまう。

もう一度、釜山へ 《Busan》

 韓国2番目の都市にして、日本に一番(気分的に)近い街。そして2002年は、ワールドカップだけでなく、その直後に行われるアジア大会"も"力を入れている。だけど考えてみれば、アジア大会のほうが先に決まっていたので、まさに「棚ぼた」状態である。港町なので、大阪と神戸が一緒という感じである。

 釜山広域市 [E][J][K]
 釜山の主要な3つのバスターミナルの位置はだいたいどこにあるかわかっていたが、どこに到着するのかだけは分かっていなかった。ただ、どこについたとしても釜山駅などの市中心部へ行く道だけはあらかじめ調べておいた。都市高速みたいなのから市街地に下りたところで車内放送があり、半分の人があわてたように降りたものの、別に急ぐ必要もないのでそのまま乗っていた。このあたりで「西部」ではないことは分かったが、他の「高速」「東部」の2つが近くに建っているところも通り過ぎ、地下鉄1号線沿いにひたすら北上を続けた。まさか、釜山経由でそのまま別の街に行ってしまうのか、と思い始めた頃、地下鉄1号線の最北の駅の裏手へ回ったところにあるバスセンターに到着した。建物が非常に新しかった所を見ると、完成して移転してきたばかりだったらしい。何しろ、切符売り場の表示がデジタルだったのはここ以外で見たことがなかったので。きれい・大きいということは認めるのだが、中心部から15キロも離れていて地下鉄に乗っても30分もかかってしまうので、一番使い勝手が悪かった。

 まずは釜山駅で、今夜の列車の席を確保する。KOREA RAIL PASSの最終日なのだが、夜行列車の場合到着するまで有効なので、ソウルまでは行くことができる。売り場をたらいまわしされ、1階と3階のあいだを往復しながらなんとか確保する。あとは、22時の出発まで8時間ほどフリーなので、コインロッカーに荷物を預けて街中へと繰り出す。

帰る、釜山駅へ

広安里、西面

 考えてみると、釜山の街を歩くのは実に4年ぶりのことである。何せ、初めて訪れた海外の街なので、ことの他思い入れはあるし、その割にそのときは2日しか滞在しなかったので、まだ行ってみたいと思っている所はたくさんあった。だけど、今日は半日しかない上に、雲行きもかなり怪しい。それに、夜になるとかなり冷えてくる。せっかく釜山の交通カードを持っているということもあり、地下鉄に乗って終点まで行ったりもした。特に、2号線の暫定的な終点に近い「広安里(Kwanganri)」の海岸は、魚介類や乾物を扱う商店や卸の店が集まっている通りの先には、砂浜のビーチが広がるという、何とも言えない光景が広がっていた。ただ、雨が降り始めたので、人通りは少なく、なんだか寂しい所だった。
 次に、ワールドカップと、その直後にあるアジア大会の会場となるスタジアムを目指した。近くまで行く地下鉄3号線はまだ工事中だったので、1号線の最寄駅まで行き、3号線の工事現場に沿って、歩いていった。工事の関係で資材がおいてあって通りにくい歩道を進むものの、スタジアムらしき物がなかなか見えず、途中で飽きてきたので、引き返した。周到な準備をしていなかったことと、釜山タワー・梵魚寺(Bomosa)・チャガルチ市場という3大名所はすべて行ったことがあったので、今回の市内観光はハズレが多い。
 気を取り直して、駅前とは別の繁華街の西面(Somyon)で食堂を探した。大通りから1本東に入ったところにミリオレがあり、予想通り大きなフードコートがあったので、希望の食事にありつくことができた。ソウルの明洞、大邱、釜山と残す所、ソウル東大門の本店(というか元祖)だけ行っていないことになった(と、このときは思っていた)。
 食後に、もう一度地下鉄に乗って沙上(Sasang)駅に隣接する「西部」バスターミナルにも行ってみるが、辺りはすっかり日が暮れていて、バス乗り場は「終電間際」というぐらい人がいなくて寂しかった。なので、駅周辺の広場の屋台を見て周るだけで、「もう、釜山でやりのこしたことがないかな」と思い、地下鉄に乗り込んだ。

やっぱり、夜行列車は・・・

22:00(釜山)中央線経由 6:37(ソウル・清涼里) 501.3km 23,500W
 釜山とソウルの間には京釜線という観戦に5本の夜行列車がある。そのうち1本がセマウル号で他はムグンファ号となっている。ただ問題があって、一番最初に出発するムグンファは釜山を21:30に出て、ソウルには03:18には着いてしまう。最終でも23:55に出て05:29には着いてしまう。KOREA RAIL PASSを持っているのでセマウルでもいいのだが、ご丁寧に30分早く出たムグンファを途中で抜かしてしまう。急ぐときにはいいのかもしれないが、6時前についたところで何も楽しくないし、睡眠時間が少なくなってしまう。ならば、ということで中央線経由のムグンファに乗ることにした。終点がソウル市の東側の清涼里駅になるが、地下鉄1号線で都心とつながっているし、東の「果て」というほどのものでもない。これで、8時間の睡眠が確保できるとなれば疲れを残すことにはならないだろう、と思っていた。少なくとも、乗るまでは・・・。
 8時ごろから釜山の駅で待っていたが、どうも退屈だったので構内のLotteriaに入ってしまった。そこでハンバーガー一つと、アイスコーヒーを飲んでしまった。改札ゲートが開き、列車に乗り込むと車内の半分以上は埋まっていた。始発からこの状態なので大丈夫かな、と思っていたが、大丈夫ではなかった。まず、同じ車内の子供たち(3名)が通路を走り回っていた。おそらく20往復はしていると思う・・・(のべ、60往復!)。おまけに、席は通路側だった。なので、窓側の人がいた。しかも、途中で入れ替わった。そのたびに、目が覚めた。さらに、寒かった。釜山で上に着るものでも買おうと思ったが、買っておけばよかった。最後まで、まともに寝ることもなく、ソウルに着いてしまった。


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