10/12(金):ソウル、春川 10  12 ): ,
Seoul, Chunchon




 ソウル滞在は残すところ2日となった。当初の予定では板門店に行くつもりだったが、例の事件により滅多に起こらないはずの「情勢によっては中止になる」という理由によりツアーが開催されなくなっていた。それならばということで、その手前にあり、個人で行くことのできる「オドゥ山展望台」に行くことも考えたが、電車でもより駅まで行ったあと、市内バスに乗換えなければならないということと、天気がすぐれなかったということもあり、行きと帰りで交通手段を変えることができる春川を目指すことになった。

汽車に揺られて、基地の街春川へ 《Ch'unch'on》

10:35(ソウル・清涼里) 12:23(春川) 92.9km 3,800W
 ソウルよりも東にあるので、ここまで行く列車は清涼里駅から出ている。KOREA RAIL PASSはもう使えないので、相当な出費を覚悟して窓口に並び、行き先を告げると「席はないので立席になる」由のことを言ってきた。おかげで4,700Wするところが、かなり安くなってわずか3,800Wになった。ただ、小学校の遠足(しかも2組)や、その他の集団も多く1時間ほどはデッキ(しかもトイレの前)で身動きもできずただただ駅で買った英字新聞を読んでいるだけだった。
 随分終点に近付いたところで、一斉に降りてしまったので指定席の部屋も空席だらけになったのですわらさせてもらった。ただ、宴会後という感じで菓子くずやらみかんの皮とかが底ら中に落ちていた。「お前ら、帰りも同じ列車の乗って片付けるんかい!」。ただ、車窓の眺めは良かった。北漢江に沿って、蛇行しながら遡っていた。ただ、対岸の4車線道路だけが目障りだった。
 ソウル市街地を流れる漢江の上流なのだが、行政上は東海に面する江原道。この川を堰き止めた春川湖の湖畔にあり、鶏肉が入った焼肉「タッカルビ」で有名な街。

 春川市 [E]
 春川市 [K] :韓国語フォントが必要です

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 春川は、基地の街だった。
 ということを、到着してから初めて知った・・・。
 春川市街には2つの駅があって、中心部へ行くにはどちらで降りても距離的に変わらないので、終点まで乗っていることにしていた。一つ手前の南春川駅でほとんどの人が下車したけれど、さほど気にしてはいなかった。それで、終点の春川駅について、改札を出て、駅前の観光案内所まで歩いていっているときにそれに気がついた。駅舎を出て、正面の方向に1.5kmほど行ったところに中心部がある。地図で見てもそういう道はあった。が、駅前のタクシー乗り場みたいな小さな広場の正面には高さ2メートルほどの白い壁があるだけだった。で、その壁の上に、鉄条網があったので、基地ということが分かった。
まさか、「壁の向こう」に、滑走路があったとは・・・
Bus Ticket from Chunchon to East Seoul  しかしまあ、観光ガイドとかの地図にあからさまに「ここに基地があります」と描く訳にはいかないんでしょうが、せめて何らかの表示だけはしておいて欲しかった、と半泣き状態で途方にくれて彷徨っていたところを、案の定タクシーの運転手らしき人に絡まれた。必ずぼられるわけではないが、シチュエーションからしてその可能性が高いので、ありったけの英語を駆使してその場はしのいで、そのままバスターミナルへと走った。ただ、基地と線路に挟まれた道路は、どこまでも直線道路が続くので、どこまで無理して走りつづけたのかは想像にお任せします。
 バスターミナルの向かいのコンビニでパンとかは調達したものの、待合室で食べようと思っていたバスターミナルは暗く古く少々汚かった。ここからもいろいろな行き先があった中に、すぐに東ソウルという文字を見つけ、思わずすぐに購入した。買い易さはともかくとして、2日前の(いかにも建て替えたばかりという)仁川とはかなり雰囲気が違っていた。バスはすぐ出る便だったので、停まっていたバスに飛び乗って、ほどなくして出発した。

COEX 2

 帰りのバスで先ほど買ったパンを食べ終わるや否や、すぐに眠りに落ちていた。漢江沿いの渓谷美も結局鑑賞することができなかった。
 東ソウルターミナルへ着いてから、今日もまた、COEXへ向かった。というのも、今朝購入していた英字新聞に、COEXで展示会をしているという記事があったので、とりあえず覗いてみよう、ということになった。裏を返すと、昨日からの混雑の原因はどうもこれだったらしい。COEXの中でも、地下鉄駅から遠く離れたところで、昨日は気が付くはずもなかった。入口にブースが並び、その手前の机で皆何かを記入していたが、そもそもそのブースの上にかかっているハングル表記が分からなかったので、唯一英語で書かれているコーナーに行き、「予約も何もしていないんですけど、入れますかね?」と(一応、英語で)尋ねると、書類を一枚渡されて名刺と一緒に提出してくれといわれた。もちろん(無職のため)空欄ばかりで、かろうじて財布にあった学生時代の名刺(の大学名などを二重線で消して)とともに差し出すと、GUESTと書かれた首から下げるパスケースや、分厚いプログラム、そのほかいろいろな資料が入った袋を交換してくれた。確かに、国を代表するような展示会のため、商談とかで訪れるビジネスマンが多かったが、ワタシぐらいの世代で遊びに来た、という感じの人もまた多かった。それに、Korea Electronic Show 2001というだけあって、展示会としても大規模だった。何せ、体育館ほどのスペースを3ヶ所も接続して展示しているので、一回りするだけでも大変な広さだった。

 Korea Electoronics Show

東大門市場

Tongdaemun Market

 ほぼ毎日といっていいほど、明洞のミリオレに行っていたが、あくまで元祖は東大門の方(らしい)なので、一度は寄ってみようかという気になった。というより、ほかにも斗山タワーやブレヤタウンといった小売店がぎっしりと詰まったビルもあるので、いつもと違った食事にありつけるだろうという期待があった。
 まだ明るいうちに地下鉄で移動し、東大門に近い出入り口から地上に上がる。この正面にあって、この界隈では一番大きな建物の「東大門総合市場」は、以前来たことがあるのであっさりと通過し、高速道路の高架をくぐって南へ行く。ただ、「斗山タワー」の1階の案内板で確認しても、モノを食べることができそうな場所がなく、更に歩いて本家「ミリオレ」に入る。明洞や釜山のものに比べて、少々古いこともあってか建物自体に年季が入っていたような感じだった。ただ、フードコートのある階まで上がってみても、時間が早いせいもあって客はまばらで、これといって食欲をそそるメニューもなかったので、そのまま出てしまった。
 道路の東側に野球場を見ながら、屋台の並んだ狭い歩道を通り、先ほどとは別の地下鉄駅まで行く。ここまで来ると、総合市場ほどの市場らしい喧騒から逃れることができるが、それでも地下道はバッグやサッカーのレプリカユニフォームを扱う店などが所狭しと並んでいた。結局「いつもの」明洞ミリオレに戻っていった。

南大門市場

Namdaemun Market

 旅館に戻った頃には19時を回っていた。なのに、青海さんはワタシと夕食に行こうと思って待っていてくれた。食べたばかりなので、何も欲しくなかったが最後の晩ということもあり、勧められるがまま、南大門の市場へと繰り出した。地図上では近いということはわかっていたものの、何せ旅館へは南方面から出入りしたことがなかったので、ほんの5分で着いたときには、まだまだ自分の行動範囲が狭いことを思い知らされた。
 青海さんは、その日も南大門を歩いていたということもあって、いくつかの店に目星をつけていた。そのうちの1軒で、通りの中央に並んだ屋台のうちの一つで腰をおろした。かろうじて日本語を喋れるオバちゃんが「これ、エビ」とか「カイ」とか言ってくれるので、気分にも任せて「要る」「要らない」と返事するかたちで注文した。これまで、朝はファーストフードかコンビニ弁当、夜はフードコートと決まったようなものしか食べていなかったので、こうして食事をするのもいいかな思えてきた。ただ、そのツケは料金として跳ね返ってきた。確か2人で30,000Wもかかったので、昨晩のカルビよりも高くついた。こうした新鮮な魚介類などを屋台で食べると、これでも安いと周りの人は言うのですが、そうなんでしょうか。日本でも酒場には行かないので・・・。
 来た道をそのまま引き返すと、今日開店したと思われる喫茶店みたいなものの前で若い女の子が、客引きのために踊っていた。青海さんによると、別の喫茶店でも同じようにパラパラを踊っていた、ということだった。この周辺の店の人だろうか、ホストクラブのお兄ちゃんたちも物珍しそうに遠巻きに眺めていたが、ワタシらが行ったところで休憩のためか店内に引っ込んでしまった。

 旅館に戻ると、ここぞとばかりに、窓口のところで女将さん親娘が待っていて宿代を払わされた。というより、たまたまそういうタイミングだったらしい。ただ、「チェックアウトする前の晩」に支払ったのは初めてだった(1泊のときは除く)。


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