帰ってきてから '01韓国旅行記
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インターネット回線

 自宅に帰ったら、ADSLの常時接続回線になっていました(1.5Mbですが・・・)。
 正確に表現しますと、出発した翌日の5日の晩に工事が完了したと電話が入っていたとのことでした。とはいえ、ワタシ以外にネット接続する人や、そもそもパソコン所有者がいませんので、帰ってくるまでの10日近くは「何もしてない」状態でした。
 今回の旅の目的に、「インターネット環境の進んだ」韓国を見てくる、というのがありましたが、前半の韓国南部を一周しているときは「PC房(インターネットカフェの韓国版)」が見つからず(そもそも真剣に探そうとしていませんでしたが)、ソウルに戻ってきてからは泊まっていた旅館で無料でできたので、わざわざ金を払ってまでしてネットをしに出かけようとしませんでした。こう考えると、当初の目的は果たしていなかったような気がします。

 ところで、自宅では「常時接続」を活かして、パソコンで作業しているときには、たいてい音楽のストリーミング放送を聞きながらしています。以前は、韓国のKBSという放送局のテレビなどを見ていましたが、画像が粗いので最近は見ていません。Windows Media Playerなどでは、英語圏のものが充実しているようですが、探してみれば韓国のヒットチャートの曲をエンドレスで流すものもありました。パソコンに負荷をかけると音が途切れることと、題名・歌手名が文字化けするというのが難点ですが、普段の(国内での)生活の中では聞くことの内局を聞けるのは楽しいものです。もちろんこういうことは、頻繁に起こります。

誤表記の訂正

 最初の海外旅行のとき、観光ガイドブックの地図をあてにして、某クレジットカード会社のソウルのカスタマーサポートセンターを目指していました。結局は、移転前の場所を載せたままだったらしく、正しい場所に行き着くまで半日を費やしてしまいました。同行者のアドバイスにより、この出版社へくどくどと文句を書いたら、「貴重な滞在先での時間を無駄にした」ことのお詫びとして、詫び状とテレホンカードを送ってきました(図書館で借りた本だったのに・・・)。
 今回も、大邱で旅館の場所が違っていた一件があり、他に困る人がいてもいけないので、と思って出版社へメールを書いていました。このときはまだ、別の旅館に泊まっていたことなど分からなかったのだが、正確を規すためにと地図を開いて住所を確認していたら・・・、同じ街に同じ名前の旅館があるということに気が付きました。
 わざわざメールなど出さなかったら、違う旅館にとまったことすらも気が付かずに、ホテルのエージェントに抗議文を出していたかもしれません。

船で帰ってくるかと思った・・・

 出発前に、家の人には「適当にやりたいことが済めば帰る」とだけ言っていました。10日の朝に現地で帰りの航空券を調達し、仁川の新空港から飛行機で帰国しました。自分としては、往路に船を使ったので、帰りぐらいは時間をかけたくはありませんでした。というのも、下関から適当に距離があり「青春18きっぷ」が使えない時期なので、「韓国内の移動&フェリー&国内の電車代」と「飛行機代」があまり変わらないことを考えると、少しでも長く滞在していたいので後者に軍配が上がった、というだけの理由でした。
 ただ今回は周りの人は「費用」のことを心配していたわけではありませんでした。7日の夜にアフガニスタン侵攻がはじまったため、飛行機に乗るのは危ないんじゃないのか、ということらしかったのです。実際にソウル市内のアメリカ系の企業周辺や、米軍基地などは物々しい警備体制がしかれていたが、「自分の乗る飛行機ぐらいは大丈夫だろう」と思っていました。何せ、数年前に「テポドン」事件があった直後に何も気にすることなく、ソウルまで飛行機で往復した人間なので。

地図を作りました

 別の用途で使うために描いていたのですが、こうしたほうが分かりやすいので、ルートもあわせて描いてみました。
 「水色」が国境を越える移動、「オレンジ」がバス、「みどり」が汽車、そして「黄色」は片道ずつをバスと汽車を使って往復したものをあらわしています。

ルート図:’01韓国旅行記


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