9月25日(水):〜マンチェスター〜ノッティンガム
9 / 25 (Wed) : to Nottingham via Manchester
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SQ334 本日2度目の朝食

06:45(CDG)→07:15(MAN)

 経由地のパリに到着して、約半数の客がまだ真っ暗な空港に降りていった。そして乗客と入れ替わるように、機内清掃の方々が日本では見かけなくなった黒いポリ袋と掃除機を持ってドヤドヤと入って来られた。それにしてもまだ夜も明け切らないうちに到着してしまった乗客は時差があるのでいいものの、機内の掃除ぐらい最後に到着した所でやってもいいんじゃないかなと思ってしまった。
 薄明かりが指してきた頃、やっとパリを離陸した。といっても、ここから600kmのあいだに時差が1時間。もちろんというか、なぜか、もう一度、朝食というか軽食が出てきた。何とか外も明るくなったものの、頭の中も腹時計もそろそろ昼なので、昼食を食べているような気がしてきた。

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念のため(?)、フランス・パリ シャルル・ド・ゴール空港

 うす曇りの中を、どんどん機体を下げながら、いつの間にか空港に到着していたという感じだった。早朝ということと、真夏のシンガポールから飛んできたため、もう一枚着ておこうかな、と思うほど寒かった。空港には、今まで見たこともないようなヨーロッパやアメリカの(特に、ローカルな)航空会社の飛行機も多かった。(東南)アジアでは右に出るもののいない我がシンガポール航空も「ちょっとすいません」みたいな感じで、ターミナルビルからずいぶん遠いところに駐機して、ワタシたちはバスに乗り換えて、延々と空港内を連れまわされた。
 初めてのヨーロッパ入国審査は、「EU外」からの入国者に対しては厳しいらしく、なかなか行列が短くならなかった。が、いよいよワタシの順番になって、聞かれてもいないことに対して答えて苦笑いされたことをかんがえると、こうしたことで時間がかかってしまっている(?)のではないかと・・・。すべての荷物を機内に持ち込んでいたので、そのまま到着ロビーに出て、両替をして、サッカー雑誌を買って(別に意味はありませんが)、市内へ向かうための鉄道の駅に向かう。そこから列車で10分ちょっと。それなのに、空港の駅は非常にこじんまりとしていて、とても寂しかった(改築工事をしている途中でしたが)。

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と、マンチェスター空港

  Visit Manchester  : Manchesterの観光情報
  Manchester Airport  : マンチェスター空港

ヨーロッパの中華街と、「大都市」博物館

Chinatown & Urbis

Urbis  マンチェスター市内の駅(中央の駅ではなく、市内中心部に近いOxford Roadという駅でしたが)に降り立ち、初めてのヨーロッパの街の雰囲気を実感する、どころか、そこはマンチェスターの中華街で、しかも旧盆を祝う飾り付けであふれていたので、アジアの街を歩いているのと似たような感覚だった。
 しばらく、”アジアの町”を徘徊したあとで、近くの観光案内所で、この旅ヨーロッパ部分の同行者 兼 案内人で、Nottingham滞在中の友人D氏(Davidさんではありません・・・)と合流し、再会を喜ぶのも後回しにして、早速博物館へと向かった。
 完成したばかりで、近未来的な全面ガラス張りの建物。はじめに外周を一回りしてみるも、どこが入口かすら分からない。清掃作業中のオジサンに聞いて、やっとわかったという有様でした。社会見学だと思われる高校生ほどの団体が押しかけていたので、落ち着いて見学することもできず、それ以前に「英語の頭」になっていなかったので、看板も、説明の案内も何もかも英語で書いてあったため、ほとんど理解できずじまい。それはそれでもったいなかったような気もします。

Urbis 《英》


 あらかじめNottinghamまでのバスのチケットを取っておいたほうがいいかもしれないということで、中華街南のバス乗り場へ行ってみる。「一日数本あるから待たずに乗れる」と言っていた同行者のうろ覚えも大きく外れ、実際のところ一日3本しかなく1時間後の便(14:30)を逃すと、夕方(18:30)までなかった。すぐに乗ることも考えたが、マンチェスターで何もしていないことを考えると、ノッティンガム到着が深夜になることを覚悟の上で、夕方までとどまることにした。

真っ赤なスタジアム

Old Trafford

Old Trafford  こうして数時間ほどの時間が空いたものの、この街で他に行きたいところといえば某サッカークラブのホームスタジアムぐらいしか思い浮かばなかった。元々、イギリス滞在中にサッカー観戦しようと考えていた(詳しくは、こちらの「フットボールの母国を訪ねて」を)のだが、入場料が高すぎるのであきらめていた。ここはスタジアム併設の博物館とはいえ、世界的(もちろん日本でも)に有名なクラブなので行っても損はないだろうと思っていました。
Old Trafford  市街地中心部からトラムに乗り、10分ほど郊外へ。駅から同じぐらいの時間をかけて歩くと、住宅地の中に忽然と巨大なスタンド席が見え、裏手には広大な駐車場も広がっている所にスタジアムはありました。それにしても、日本だと「運動公園」とかいった施設の中に陸上競技場(とか・・・)があるのですが、こちらの場合「スタジアム」のみなので、一般の住宅とものすごく隣接しています。バックスタンド側の入口から建物に入り、まずはスタンドに併設の博物館へ。このクラブの歴史や、今まで獲得した優勝トロフィーなどの展示から始まって、在籍していた選手にまつわる物や、サッカーそのものの話まで、とても日本のクラブには真似できないようなものばかりあったため(それと、英語の説明を読むのに苦労したという理由もありましたが・・・)、スタジアムツアーの集合時間に二人揃って遅れそうになり、館内放送で呼び出されました。そもそも、閉館時間間際で、最後のツアー出発時刻10分前に入館したワタシらが悪いのですが。まあ、ツアーといっても、10人ほどの客を係員が連れて周るだけのものですが、さすがに世界有数の大クラブの、由緒あるスタジアムなので、それはそれは、もう、スゴイものを見せてくれます・・・。特に、試合開催日ではないため、普段はどう考えても立ち入らせてもらえないところまで入らせてもらえます。あえて、それが何だかは、ここでは紹介しません。実際に行ってみてから確かめてください・・・。
Old Trafford

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Manchester United 《英》


ヨーロッパにまで来たのに・・・

 マンチェスター市内中心部の、Arndale Centre(アーンデール・センター)まで戻り、夕食をとっておくのか、それともスーパーで調達してバスの中で食べるのか、というケンカを早速再会一日目からする。こっちとしては、時差ボケでの体力低下が心配ですぐにでも食べたいし、同行者D氏としては、イギリスの物価(特に外食)の高さと自炊の安さを知っているので、簡単に済ませたかった。ショッピングモールをぶらつきながら、まだまだ明るいのに17時を過ぎたからと閉店準備をする店舗を見ながら、お互い決めかねていたが、ワタシの一押しで結局フードコートに行くことになった。アジア(と、一部オセアニア)のフードコートしか知らなかったので、西アジア(具体的には、トルコですね・・・)、アフリカやメキシコといった料理を出す店があるということに珍しく思った。ただ、現地のヨーロッパ系の店といえば、ファーストフードのようなものか、喫茶、飲み物系の店しかなかった。ちょっとでも腹に残る物を、という希望から、選んだ料理は炒飯のような物がメインのシンガポール料理の店。「(ヨーロッパからの帰りに)シンガポールに寄るんだろう」と、バカにしていたD氏もなぜだか同じ店で違う料理を・・・。こんなところまで来て、アジアの料理を食べる必要もないんですけど。


バス to Nottingham

18:30→21:15

 フードコート近くのスーパーでの買物に時間を取りすぎたため、出発ぎりぎりにバスターミナルに到着。息つくヒマもなく、乗車し静かにマンチェスターの街を離れていった。車窓の眺めも、看板が英語、左側通行、イギリス的建物が多いことから、オーストラリアの郊外を走っていたときのことをふと思い出した。まあ、そりゃ、英連邦として影響を受けている国なので、似ているんでしょうけども。
 しばらくして、高速道路(みたいなもの)に入ってからは、だんだんと力尽きて、窓側の席を占領したまま眠っていました。
 途中の街Sheffield(シェフィールド)で慌しく乗り換えて、また同じぐらいの時間をかけてNottingham(ノッティンガム)の街を目指します。もちろん、どこを走ったかなんて覚えていません・・・。

National Expressほか 《英》

 ノッティンガムに到着したというので、D氏に起こされた。随分肌寒いことに気がつき、眠い目をこすりながら、バスセンターの中をうろつき歩く。どうも、街中にはもう1つバスセンターがあって、そちらの方が今日泊まる宿に近かったらしい(歩いて3分!)。近くまで行きそうな市内バスもなく、仕方なく市街地を通り抜けて歩いて行くことになった。
 集合住宅の一角を改装したような宿(=ホステル)だったので、近所の人に聞いても分かる人は少なく、1時間ほど迷いに迷った後、やっと到着するといった有様だった。

時差ボケの顛末(西行き)

 生まれて初めての2時間以上の時差も、西行きだったため「睡眠時間が長くなった」と思ってしまえばたいした事はなかった。とはいえ、今朝は4時ごろに目が覚め、途中の移動のバスで寝たものの、ノッティンガムに着いてから宿を探すのに、ひじょーに手間取ったため布団にもぐりこんだのがまた日付の変わるぐらいになってしまった。それでも、翌日から疲れを残さなかったので、大丈夫だったのでしょう。実際に、西行きよりも、東行きの方がつらいと言われるぐらいですから。
 時差について、詳しくはこちら

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はじめに 中国編
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